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【2026年最新版】夏の甲子園 歴代優勝校一覧と最多優勝ランキング!

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夏の甲子園は大正4年、1915年から100年以上続いている高校野球の祭典です。

大会期間中は全国から集まった選手たちが毎日熱戦を繰り広げ、野球ファンを大いに楽しませてくれます。

この記事では、そんな夏の甲子園における歴代優勝校、最多優勝ランキングなどについて解説します。

また、夏の甲子園の歴史や豆知識などもまとめて取り上げるため、興味を持った方はぜひ最後までご覧ください。

夏の甲子園の歴代優勝校

回数開催年優勝校(都道府県)
第1回1915年(大正4)京都二中(京都)
第2回1916年(大正5)慶応普通部(東京)
第3回1917年(大正6)愛知一中(愛知)
第4回1918年(大正7)米騒動のため中止
第5回1919年(大正8)神戸一中(兵庫)
第6回1920年(大正9)関西学院中(兵庫)
第7回1921年(大正10)和歌山中(和歌山)
第8回1922年(大正11)和歌山中(和歌山)
第9回1923年(大正12)甲陽中(兵庫)
第10回1924年(大正13)広島商(広島)
第11回1925年(大正14)高松商(香川)
第12回1926年(大正15)静岡中(静岡)
第13回1927年(昭和2)高松商(香川)
第14回1928年(昭和3)松本商(長野)
第15回1929年(昭和4)広島商(広島)
第16回1930年(昭和5)広島商(広島)
第17回1931年(昭和6)中京商(愛知)
第18回1932年(昭和7)中京商(愛知)
第19回1933年(昭和8)中京商(愛知)
第20回1934年(昭和9)呉港中(広島)
第21回1935年(昭和10)松山商(愛媛)
第22回1936年(昭和11)岐阜商(岐阜)
第23回1937年(昭和12)中京商(愛知)
第24回1938年(昭和13)平安中(京都)
第25回1939年(昭和14)海草中(和歌山)
第26回1940年(昭和15)海草中(和歌山)
第27回1941〜1945年戦争のため中断(1941年は文部省通達により中止)
第28回1946年(昭和21)浪華商(大阪)
第29回1947年(昭和22)小倉中(福岡)
第30回1948年(昭和23)小倉(福岡)
第31回1949年(昭和24)湘南(神奈川)
第32回1950年(昭和25)松山東(愛媛)
第33回1951年(昭和26)平安(京都)
第34回1952年(昭和27)芦屋(兵庫)
第35回1953年(昭和28)松山商(愛媛)
第36回1954年(昭和29)中京商(愛知)
第37回1955年(昭和30)四日市(三重)
第38回1956年(昭和31)平安(京都)
第39回1957年(昭和32)広島商(広島)
第40回1958年(昭和33)柳井(山口)
第41回1959年(昭和34)西条(愛媛)
第42回1960年(昭和35)法政二(神奈川)
第43回1961年(昭和36)浪商(大阪)
第44回1962年(昭和37)作新学院(栃木)
第45回1963年(昭和38)明星(大阪)
第46回1964年(昭和39)高知(高知)
第47回1965年(昭和40)三池工(福岡)
第48回1966年(昭和41)中京商(愛知)
第49回1967年(昭和42)習志野(千葉)
第50回1968年(昭和43)興国(大阪)
第51回1969年(昭和44)松山商(愛媛)
第52回1970年(昭和45)東海大相模(神奈川)
第53回1971年(昭和46)桐蔭学園(神奈川)
第54回1972年(昭和47)津久見(大分)
第55回1973年(昭和48)広島商(広島)
第56回1974年(昭和49)銚子商(千葉)
第57回1975年(昭和50)習志野(千葉)
第58回1976年(昭和51)桜美林(東京)
第59回1977年(昭和52)東洋大姫路(兵庫)
第60回1978年(昭和53)PL学園(大阪)
第61回1979年(昭和54)箕島(和歌山)
第62回1980年(昭和55)横浜(神奈川)
第63回1981年(昭和56)報徳学園(兵庫)
第64回1982年(昭和57)池田(徳島)
第65回1983年(昭和58)PL学園(大阪)
第66回1984年(昭和59)取手二(茨城)
第67回1985年(昭和60)PL学園(大阪)
第68回1986年(昭和61)天理(奈良)
第69回1987年(昭和62)PL学園(大阪)
第70回1988年(昭和63)広島商(広島)
第71回1989年(平成元年)帝京(東京)
第72回1990年(平成2)天理(奈良)
第73回1991年(平成3)大阪桐蔭(大阪)
第74回1992年(平成4)西日本短大付(福岡)
第75回1993年(平成5)育英(兵庫)
第76回1994年(平成6)佐賀商(佐賀)
第77回1995年(平成7)帝京(東京)
第78回1996年(平成8)松山商(愛媛)
第79回1997年(平成9)智弁和歌山(和歌山)
第80回1998年(平成10)横浜(神奈川)
第81回1999年(平成11)桐生第一(群馬)
第82回2000年(平成12)智弁和歌山(和歌山)
第83回2001年(平成13)日大三(東京)
第84回2002年(平成14)明徳義塾(高知)
第85回2003年(平成15)常総学院(茨城)
第86回2004年(平成16)駒大苫小牧(北海道)
第87回2005年(平成17)駒大苫小牧(北海道)
第88回2006年(平成18)早稲田実(東京)
第89回2007年(平成19)佐賀北(佐賀)
第90回2008年(平成20)大阪桐蔭(大阪)
第91回2009年(平成21)中京大中京(愛知)
第92回2010年(平成22)興南(沖縄)
第93回2011年(平成23)日大三(東京)
第94回2012年(平成24)大阪桐蔭(大阪)
第95回2013年(平成25)前橋育英(群馬)
第96回2014年(平成26)大阪桐蔭(大阪)
第97回2015年(平成27)東海大相模(神奈川)
第98回2016年(平成28)作新学院(栃木)
第99回2017年(平成29)花咲徳栄(埼玉)
第100回2018年(平成30)大阪桐蔭(大阪)
第101回2019年(令和元)履正社(大阪)
第102回2020年(令和2)新型コロナウイルス感染症の流行により中止
第103回2021年(令和3)智弁和歌山(和歌山)
第104回2022年(令和4)仙台育英(宮城)
第105回2023年(令和5)慶応(神奈川)
第106回2024年(令和6)京都国際(京都)
第107回2025年(令和7)沖縄尚学(沖縄)
第108回2026年(令和8)(※各年の大会結果に準ずる)

夏の甲子園にまつわるランキング

夏の甲子園には、さまざまな記録が存在します。

主な夏の甲子園にまつわるランキングは、以下のとおりです。

最多優勝校

順位学校名優勝回数
1位中京大中京(愛知)7回
2位広島商(広島)6回
3位松山商(愛媛)5回
3位大阪桐蔭(大阪)5回
5位PL学園(大阪)4回

都道府県別通算成績

順位都道府県名優勝回数
1位大阪14回
2位和歌山8回
2位神奈川8回
2位愛知8回
5位広島7回
5位東京7回
5位兵庫7回

連続出場回数

順位学校名連続出場回数
1位和歌山中(現・桐蔭)(和歌山)14回
2位聖光学院(福島)13回
3位作新学院(栃木)10回
4位智弁和歌山(和歌山)8回
4位明徳義塾(高知)8回

ホームラン数

順位選手名本塁打数
1位中村奨成(広陵・2017年)6本
2位清原和博(PL学園・1985年)5本
3位藤井進(宇部商・1985年)4本
3位平田良介(大阪桐蔭・2005年)4本
3位広井亮介(智弁和歌山・2006年)4本
3位北條史也(光星学院・2012年)4本

奪三振数

順位選手名奪三振数
1位板東英二(徳島商・1958年)83個
2位斎藤佑樹(早稲田実・2006年)78個
3位松井裕樹(桐光学園・2012年)68個
4位辻内崇伸(大阪桐蔭・2005年)65個
5位松坂大輔(横浜・1998年)64個

そもそも夏の甲子園とは

毎年8月に兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で行われる、高校野球(男子硬式)の全国大会が夏の甲子園です。

正式名称は「全国高等学校野球選手権大会」で、日本のアマチュア野球最大のイベントとして知られています。

現在国内外で活躍している多くの野球選手も甲子園に出場しており、未来の日本野球界のスターを探すことを楽しむファンも多いです。

歴史

1915年(大正4年)に大阪朝日新聞が紙面を盛り上げるための大きなイベントとして企画、主催した「第1回全国中等学校優勝野球大会」が始まりです。

最初は大阪の豊中グラウンド(のちに鳴尾球場)で開催されていましたが、1924年(大正13年)に当時アジア最大と言われた「甲子園大運動場」が完成。開催地が甲子園球場になったことで、大会そのものも「甲子園」と呼ばれるようになりました。

参加資格

6月中旬から7月下旬にかけて行われる全国の地方大会(都道府県予選)を勝ち抜いた49校が出場します。

北海道と東京は2代表、他は1県1代表です。

兵庫県は甲子園の開催地ですが、出場枠は1つしか割り振られていません。

試合方式

1度でも負けたら終わりとなる、ノックアウト方式が採用されています。

なお、近年の厳しい猛暑に対応するため、試合時間の2部制導入(午前と夕方への分散)や5回終了時のクーリングタイム(体の冷却時間)など、様々な暑さ対策が実施されるようになっています。

夏の甲子園の豆知識

最後に、夏の甲子園にまつわる豆知識を紹介します。

なぜ土を持ち帰るのか

甲子園の土を持ち帰るのは聖地で戦った3年間の「証」、敗戦の「悔しさを忘れないため」、そして支えてくれた仲間や家族への「感謝」を表すためです。

歴史的には、1937年の夏に敗れた熊本工の川上哲治選手が持ち帰ったのが元祖といわれています。

甲子園の土にまつわるエピソードとして、1958年に夏の甲子園に初出場した沖縄代表の首里高校の話が有名です。

当時の沖縄はアメリカ統治下であり、植物防疫法(病害虫の侵入防止)を理由に那覇港で甲子園の土が没収され、海に捨てられてしまいました。

現在は本土復帰を果たしているため、通常の国内移動と同様に本土の土を持ち帰ることに対する法的な制限はありません。

土の配合

甲子園球場の土は、黒土と砂をブレンドしたものが採用されています。

もともと甲子園周辺は白い砂地でしたが、そのせいで開場当初はボールが見えにくかったようです。

そこで、光を反射しにくい黒土を混ぜてコントラストを良くし、ボールが見やすくなるようにしています。

さらに、阪神園芸の職人技によって、雨後の水抜き性能と、選手がスライディングしてもケガをしにくい絶妙な硬さ・吸水性が維持されています。

昔は火を放っていた?

昭和初期から戦後頃にかけて、土にガソリンを撒いて火を放つという強烈な整備方法が採用されていました。

これは当時の甲子園球場は現在と違って水はけが非常に悪く、雨が降るとたちまち大きな水たまりができたためです。

日程の遅れを防ぎ、無理にでも試合を成立させるための苦肉の策として、揮発性の高いガソリンで水分を急速に蒸発させようとしたのです。

しかし、ガソリンを用いた整備方法は危険を伴ううえに、グラウンドの土の成分や地中の水分バランスにも悪影響が出たため、戦後まもなくこの方法は廃止されました。